■Cさんのお母さんから
□Cさんについて
・学 年 通信制高校2年生(2024年6月現在)
・発症時期 中学1年の秋以降に徐々に発症
「親子の意識を一つに ~『わが子の心と体のいま』に合わせた進路選択~」
徐々に出てきた症状
中学校に入学し、娘は新しい生活への期待に胸を膨らませていました。ところが、新型コロナウイルスの蔓延で、年度始めに数日登校した後、しばらく休校に。今まで経験したことのない不安な日々に、出鼻がくじかれる思いをしているようでした。
その後休校が明けて少しずつ日常が戻ってきました。授業の後に部活動、さらに放課後に習い事のある日も。週末は所属しているバレーボールのクラブチームの練習にと忙しく過ごしていました。
そんな中、朝起きてきて気分が優れなくて欠席してしまう日や、学校に行って授業中調子が悪くなる日が出てきました。最初は、「休校明けの反動で疲れが出たのかな」と思っていたのですが、だんだんその頻度は増え…。保健室に迎えに行き、先生とこの不調の原因は何だろうと話すほどになりました。
原因が分からず病院を行脚
何科を受診すべきか分からず、思春期でもあるのと、貧血のような症状だったので、まずは婦人科を受診。血液検査の結果、貧血などの数値は正常で、先生からは「少し低血圧な所があるけどそれは体質だから、このまま様子をみてね」と言われました。その頃あった症状の頭痛や吐き気を抑える薬が出されて服用を続けましたが、娘は何の効果も感じられないと言っていました。
その後も体調不良は続き、徐々に朝が起きられなくなっていきました。日中も体調がすぐれないことが多くなり、登校できなくなりました。「しんどそうな状態を何とかしてやりたい」と常に情報収集をしては、少しでも効果がありそうな物は手当たり次第試しました。ドラッグストアでサプリを買ったり、漢方薬局にも足を踏み入れたりもして娘に試してもらうのですが、どれもやっぱり効果は感じられませんでした。
病院もその後、循環器科や心療内科、睡眠クリニックなどを点々としましたが、どこの先生にもなかなか症状を理解して頂けない様子でした。しんどい娘を連れて無理して受診するというのに、期待している対応はなかなか得られず、先の見えない不安に押しつぶされそうな日々でした。
ありがたかった担任の先生の配慮
学校への欠席の電話連絡も、毎日となると心理的な負担が大きくなります。最初の頃は欠席する日に電話連絡をしていましたが、担任の先生が「登校出来る日に連絡してもらえたらいいですよ」と言って下さり、朝の精神的なストレスも格段に減りました。とはいえ、進級し担任の先生が変わると、また一から状況をお伝えして、先生の対応を見て、それに対するこちらの意思もお伝えして…と、コミュニケーションを図っていかないといけないのもなかなか大変でした。「家庭(娘)と学校を繋ぐ役割は親にしかできない」と思い、できる限りの対応をするように努めました。
やっと分かった不調の原因
情報収集する中で、診察内容に「起立性調整障害」を挙げれている小児科のことを知り、すがるような思いで予約の電話を入れました。初めて受診した日に今までの経緯や症状をお伝えすると、先生は娘の顔色も確認されて「ほぼ間違いなく起立性調整障害だろう」と仰られました。後日「起立検査」を受けた時には、寝転んだ状態から立ち上がる段階で検査を続けられないほど調子が悪くなり、体位性頻脈症候群と診断されました。正式に診断が下りて、不調の原因がやっと分かったと安心した半面、これから先長い戦いになる―と覚悟を決めたのを覚えています。
その病院では、次回受診するまでの生活を毎日記録しておくように言われました。何時に目が覚めて、何時にベッドから起き上がれて、何時に食事をしたか、日中は何をしたか、何時にベッドに入って、何時頃寝付けたか―という具合に。
受診の際、先生はそれをもとに生活リズムを確認されたり、改善点を提示されたりしました。学校の試験や行事の日程を聞かれることもあり、そのお陰もあって親子共に程よい距離感で学校との関係を保つように意識できていたと思います。
娘の状況はその頃、夜なかなか寝付けず、眠りも浅く、その影響で「朝はなかなか目が覚めなくて昼頃まで起きられない」という悪循環に陥っていました。薬も寝付き易くするものと、血圧を上げるものの2種類を処方され、継続して飲んでいましたが、劇的に状態が変わるものではありませんでした。先生は、薬の効き目よりも生活リズムを重視され、「(少し元気の出てくる)夕方に散歩に行ってみたらどう?」と提案くださったり、(読書好きの娘に)「最近のオススメの本は何?」などと聞いてくださったり。おかげで、自然と前向きな生活を心掛けるようになりました。
心強い学校のサポート
一番症状が重たい頃は定期テストも学校で受験することが難しかったのですが、娘の中学校は自宅受験を許して下さり、可能な時に出来る範囲で取り組んで提出していました。また調子の安定している時期には、昼前にふれあい教室に行って1時間位過ごすことも徐々にできるようになりました。ふれあい教室の先生が担任の先生との間に入って繋ぎ役として娘をフォローして下さり、娘も私もとても心強く思っていました。
親子でとことん考えた進路
やがて3年生になり、高校受験も気になる時期になりました。その頃の娘の状況では学校に登校している子と対等に一般的な受験制度を利用出来るとは思えませんでしたが、何かしらの目指すべき方向を定めていかないといけないなとは感じ始めていました。
少しずつ体調回復の兆しもあるものの、まだまだ不安定な状態を考慮すると、やはり全日制の高校での生活は無理があるように思えました。義務教育ではない高校で遅刻や欠席が積み重なるとストレスになり、余計に体調を悪化させるのではないかとも思いました。
通信制高校の情報を調べ始めたのもその頃(6月頃)からで、通える範囲内で見つけた学校の資料を片っ端から取り寄せました。資料だけではなかなか分からない部分も多く、雰囲気を知るためにと、合同説明会や各学校のオープンスクールに娘と一緒に実際に足を運んでみました。
一般的な高校受験をしないといけないと思っている頃の娘は、「(みんなより)できていない自分」に劣等感を抱えているようでしたが、調べていくうちに「ここに通いたい」と思える通信制高校が見つかりました。先の目標が定まったことで、少し気が楽になったように見えました。「全日制の入試なら試験に合格しないと入れないけど、通信制は希望した学校に入れる」というのもプラスに捉えられたようでした。
目標が定まってからは高校生活を意識して、日中に自宅で出来る軽い運動をし、散歩の距離も少しずつ伸ばしていくなど、少しずつ生活リズムを直していく努力をし始めました。動けるようになる夕方に洗濯物を取り込んでくれたり、夕食の準備を手伝ってくれたりするようにもなりました。
心の不安が取り除かれたことと、親子で意識の統一ができたことにより、わだかまりもなくなって距離感も近付いたように思います。
「体調に合わせた時間割」で高校生活を満喫
できれば起立性調整障害にはなりたくなかったし、しんどい頃には二度と戻りたくはありませんが、この時期があったからこそ娘と同じ方向を見つめることができ、先を模索することでより良い関係を築けたのではないかと思っています。何もなければこんな思いしなくても良かったと思うこともありますが、こういう時期があったからこそ、娘は自分自身を振り返るのに十分な時間を得て、親としても娘のことを沢山知る機会にもなりました。
今は通学型の通信制高校の2年生となり、体調を考慮しながら時間割を考えられる環境で、自分の興味のある授業を沢山受けながら高校生活を満喫しています。一般的な全日制の高校では経験できないようなプログラムもあり、もしかすると周りの子よりも楽しんでいるのではないかと思ったりもします。
体調面もまだ季節などによる波はありますが、成長が落ち着いてからはしんどさも以前より格段に軽くなっていき、薬の服用や病院の定期受診も必要なくなりました。娘の場合は、成長期で背がぐんぐん伸びて、体が大きくなっていた時期が最も症状が重かったように思えます。小さい頃からスポーツも続けていたし、大きな病気もせず体も゙強い方でしたが、起立性調整障害はそれも関係なく襲ってきました。
症状に悩まされている方が、少しでも早く、少しでも楽に大変な状況から抜け出せますように、私の経験が何かの助けになればいいなと思います。