ODの子どもを持つ親同士、悩みを共感・共有したり、情報交換したりと気軽に集える会です。

手記

Experiences

起立性調節障害が発症するのは、思春期のまっただ中。「しんどいわが子に寄り添いたいのに、言葉少なでどう接したらいいのか分からない…」。そんな戸惑い、悩みはみんな同じです。現在進行形ではありますが、私たちが体験してきたこと、反省や後悔、試行錯誤してうまくいったことなど、もしかしたらみなさんがこの病気に立ち向かうヒントになるかもしれない―。そんな思いで手記をまとめました。
※プライバシー保護のため、無断転載はお断りします。
※有志で取り組んでいるので、アップできるペースはゆっくりです。趣旨にご賛同のうえ手記をお寄せいただける方、大歓迎です。親の会にメールでお声掛けくださいね。od.hiroshima17gmail.com    

■Aさんのお母さんから
□Aさんについて
・学 年  専門学校1年生(2020年4月現在)
・発症時期 中学3年生
・主な症状 起床時になっても起きれず起立時に気持ちが悪くなる。立ちくらみ、頭痛、腹痛、倦怠感など


「子供の心と身体に寄り添う」
戸惑いの中、病院を行脚
 中学3年生の春。受験生という事もあり、頑張らないといけない一年だと思っていました。部活の吹奏楽部でもパートリーダとして張り切っていました。
 そんなある日、朝突然起きれなくなりました。今思えば、一年前から起きてきてもしばらくリビングで横になっている事が多かったと思います。
 「朝起きれない」「気持ちが悪い」という状態が何日か続いたので、学校で嫌な事があった?登校拒否?-と思うようになりました。
でも、本人に聞いても「学校に行きたいけど体がだるくて動けない」と言うばかり。「一体どういう事?」「何か悪い病気かもしれない」
「三半規管に原因があるのかも」…。私の頭は混乱しました。
 耳鼻科、脳神経科など受診しましたが異常はなく、「朝起きれない」「ふらつく」「気持ちが悪い」とネットで検索すると、
中学生の10人に一人が発症する「起立性調節障害(OD)」という病名にたどりつきました。
 自律神経のバランスが乱れ、血液が脳や体に行き渡らず、頭痛や倦怠感などの症状がある。朝起きれずに「さぼり」と捉えられたりする―。
 当てはまる項目が多い事から小児科を受診し症状や起立検査をしたところ「起立性調節障害(OD)」と診断されました。治るのに個人差があり
数ヶ月~数年かかると言われ目の前が真っ暗になりました。

ショックだったわが子の一言
 娘は一日中、部屋に閉じこもるようになりました。その時は分からなかったのですが、きっと「動けなかった」のだと思います。
 受験生なのに学校に行けずにどうするの?出席日数は、内申は、テストは―。気持ちは焦るばかりで、親子関係も悪化していきました。
とにかく少しでも学校に行かそう、行ってくれたら安心していた気がします。イライラして、自分の不安を娘にぶつけていました。
ある日、「一番私の気持ちをわかってないのはお母さんじゃん!」と言われショックでした。一番寄り添わないといけないのは親なのに、と。
 娘との関係が悪化する中、何か情報がほしい。病気について知りたいと模索していました。そんな時、大阪でOD専門医の講演会があると聞き夫婦で参加しました。
会場にはたくさんの方がいて、「この病気に悩んでいる人がこんなにいるのか」と驚きました。それと同時に、「こんなにたくさんいるのに、なんで知られていないの?」という疑問を持ちました。
 ODの症状、子供に対する親の対応の大切さ、体調に合った進路選択など、お話を聞くうちに考え方が変わっていきました。
 「本人が一番つらい」「いつかは治る」「受け入れて愛情をそそぐ」「心と身体は密接に関係している」理解しようと思っても出来ない事も。親も完璧ではありません。
でも、一喜一憂しながらですが、少しずつでも実行していこうと思いました。娘との関係性も少しずつ変わっていきました。

進路の最終判断は本人に一任
 進路を決める時期になり、本人は全日制高校を希望していましたが、中学3年の秋にはほとんど学校に行けずにいました。
「高校はあくまでも通過点。その先を見たらどうだろうか。体調に合った通信制高校という選択もあるよ」と話し合い、最終判断は娘にまかせました。
 娘は自分の体調に合った通信制高校を選択しました。高校側は起立性調節障害の事を知っていて「大丈夫ですよ」と言われてすごく救われた気持ちになりました。
 高校の間に体調も良くなってきて、自信がついたのか本人も通える事が嬉しそうでした。体調に合わせて通学出来る高校を選択して良かったと言っています。
 そして今、高校を卒業して自分の夢に向かって体調を調整しながら専門学校に通っています。

大切にしたいこと
 子供の自己肯定感を大切にする。安心出来る場所があると子供は前を向く事が出来る。そんな気がします。
 どんな病気も周りの理解や認知があれば、当事者や家族の方のつらい気持ちも軽減されるのではないかと思います。
 周りに相談する人がいない―。そんな時は、私の場合、親の会などを利用して気持ちを語り合うことで元気が出ました。

■Aさん(本人)から
症状とその間の想い
 症状が出ている日は、全身が重く頭痛があるため朝起きた瞬間からわかります。
学校がある日は身体の様子を見ながら登校する、1限は休んで2限から行く、学校を休むなどその日の状況によって臨機応変に動いています。
症状が出ている間は“体調が悪いな”と気分が沈むこともありますが、普段は“明日は頑張ろう、明日は行ける”と前向きに考えるようにしています。

親の言葉で印象に残っていること辛かったこと、嬉しかったことなど
 あまり覚えていませんが、起立性調節障害になった頃はよく家族と言い合いをしていたので傷つくことは少なくなかったと思います。
自分としては学校に行きたくなくて家にいるのではなく、体調が優れないから家にいたので、「なんで学校に行かないの」と怒られることに納得いきませんでした。
ただ自分のせいで家の空気が悪かったのは理解していたので言い返せませんでした。
 起立性調節障害になってしばらくした頃に両親が病気のことを理解しようと県外の講演会に足を運んでくれたことを今でもよく覚えています。
当時中学3年生で受験を控えていたこともありピリピリしていましたが、講演会を経て家の空気は変わりました。
全日制高校に通うことが全てではなく通信制高校という進路もあると教えてくれたのは両親で、当時受験したい高校があったため通信制高校への進学に反対していましたが、
今では通信制高校に進学して良かったと心の底から思っています。「できるだけ手助けをしたい」と言ってもらえた時はとても嬉しく、家族が協力的になってくれたことが自分にとって救いでした。

今の進路を選んだ理由、将来の夢
 小学生の頃からの夢である幼稚園教諭を目指すために専門学校を選びました。
最初は慣れない環境で体調を崩すことも多かったですが、今では1限から出席し雨の日でも登校しています。
通信制高校出身だからと言って引け目を感じることは無いですし先生も親身になってくださるので堂々と過ごしています。
不安に感じるのは最初だけで今は毎日楽しく過ごしています。

■M君のお母さんから
□M君について
・学年: 高校1年(2020年4月現在)
・発症時期: 中学1年の1月下旬ごろ
・主な症状: 頭痛とだるさ(起床時から夕方ごろまで)、起き抜けからしばらく続くふらつきなど

「『出口のないトンネルはない』と信じて」
ある日突然始まった頭痛
 憧れの中高一貫校に入学し、笑顔いっぱいで毎日を謳歌していた息子に異変が起きたのは中学1年の1月下旬ごろ。
 起床時に頭痛としんどさを訴えるようになり、徐々に朝の登校が難しくなりました。
 どの診察科に行けばよいのかわからず、脳神経外科や耳鼻科、眼科と行脚しました。最終的に受診した小児科で「片頭痛・緊張型頭痛、起立性調節障害」と診断されたのは、中2の5月。「痛みが少し和らぐ午後からの授業に行けるかどうか」の状態になっていました。

症状のピークの1年間
 息子の場合、一番しんどかった時期は中2の冬から中3の終わりごろまで。
 痛みがひどい時は頭に触られるのも辛く、フラフラしながら起きて朝食を取った後、すぐまた横になって痛みが弱まるのを待つ毎日。鎮痛剤を上限まで飲んでも効かず、夜まで痛みが続く日もありました。
 どんな痛みだったのか―。
 つい最近息子に尋ねたところ、「枕に当たっただけでも痛くて、『いっそ死んだ方がまし』と何度も思った」と。頭痛の経験がとぼしい私には想像できない苦しみだったことが、初めて分かりました。

試行錯誤の末、わかったこと
 「今は待つしかないんだ」。理解しているつもりなのに、感情をぶつけてしまったことも。猛省する中でいくつか分かったことがあります。
【1】周囲の何気ない言葉がストレスになる
 「学校に行って当たり前」「行けるようになってほしい」という自分の価値観や願望から発する言葉が、息子にとってプレッシャーになっていることに気が付きませんでした。
 「今日は行けそうかな?」「何時ごろなら行けそう?」「明日は行けたらいいね」。頭では「今はまだ難しい」と分かっていても、つい口に出してしまう―。
 「登校できるなら、とっくにしてる。好きで休んでいるんじゃないのに」。ある朝泣きながら息子が発した言葉に、自分が酷な要求をしていたのだと気づかされました。
 朝起きた時からしんどくて、起き上がるのもやっと。口に出せないストレスが、次第に心に重くのしかかり、余計にしんどくなってしまっていたのだと思います。
【2】頑張りをとことんほめる
 登校できない期間が長くなるにつれ、自尊心や自信をどんどんなくしていくように見えました。だから、どんな小さなことでも、頑張りや成長を見つけては喜び、毎日“具体的に”ほめるようにしています。
【3】努めて触れ合う
 わが家は夫が単身赴任で、私はフルタイム勤務。日中ひとりで痛みに耐える息子とゆっくり過ごせる時間は、夜しかありません。たとえまだ眠たくなくても、毎晩10時になると腕まくらを貸し、好きなアニメやライトノベルなどの話をとことん聞きながら(時にこちらの意識がなくなり白眼になって叱られながら)寝入るのを待ちました。
 「無口になる思春期」ですが、共通の話題ができるとわが子の感情の動きが伝わってきます。最後に満足そうに眠る表情が、私の精神的な安定剤になりました。
【4】本人の思いを尊重する
 中学3年になっても症状はひどくなる一方。中高一貫校なので高校入試がないとはいえ、定時制や通信制など、体調に合わせて通える高校を受け直したほうが心身の負担が少ないように思い、資料を集めました。
 今の状態と見通しをODの専門医に相談したくて、すがるような思いで大阪のクリニックを受診。詳しい検査の後、子と親を別々にカウンセリングしてくださいました。
 「息子さんは、『お母さんが別の高校を探してくれているけれど、自分は一生懸命入った今の学校の高校に上がりたい』と話していますよ。心配なのは分かりますが、先回りして心配せずに、本人の思いを信じてください。いざとなったら、大学検定だってあるんですから」とアドバイスをいただきました。
 あわせて、「今日から、とにかく息子さんの心にストレスを掛けないことだけ考えてください」と指示されました。親の心配が息子の負担になっていたことを知り、「もっと大らかに構えたらいいんだ」とちょっぴり気が楽になりました。
【5】先生を通して学校とつながる
 欠席が長引く中で一番避けたかったのは、学校に対する心のハードルが高くなることでした。学校とつながっていることを感じさせたかったので、担任の先生にお願いし、エールも含め連絡事項は、先生から本人に直接メールで送っていただきました。
 「頭痛が弱まったら、放課後でもいいから先生とおしゃべりしにおいで」「今日の何時でもいいから、プリントを取りに来てね。保健室で待ってくれていてもいいよ」などの温かいメッセージを通して、息子の中に先生への親近感が湧いたようでした。
 学年が上がり新しい担任が決まった段階で2者面談をしてくださり、とても心強かったです。
 また、学年全体で情報共有してくださったので、担任以外の先生からも「おう!調子はどうや。よう来たなぁ」などと声を掛けていただくことができました。発症する前に中学1年で仲良くなった友だちもこまめに声を掛けてくれたようです。うれしそうに報告する様子から、息子が学校に居場所を感じられる大きな力になっていることが分かりました。 
 
さいごに
 息子はこの4月から高校生になりました。心身ともに落ち着くまで、登校は私の車で。「進級に必要な数の授業に出られるかなぁ…」。笑顔で見送りながらも、内心は不安でいっぱいです。そんな私の心配をよそに、現時点(2020年9月)で一日も休まずに登校できています。相変わらず朝の頭痛は続いていて、週末は疲れ切ってぐったりと横になっていますが、月曜には回復しています。どうやら、自分なりに“エネチャージ”術を編み出したようです。
 たくさん泣き、後悔や反省を繰り返す中で、親にとって大事なのは、どんなにもどかしくても、落ち着いて見守ることなのだと痛感しました。「私が息子の持つ力を信じていれば、安心の中で病気と闘える」。まだ症状が完全に治まったわけではなく、いつ後戻りするかも分かりませんが、そう信じてこれからも一緒に進もうと思います。

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